こんにちは。メヒシです。
私たちは、当然のように朝起きて、その日の活動をして、明日に備えて夜眠る
という生活をしていると思います。
生活リズムはお仕事等によって違いはあれど、こんな風に過ごしていると思います。
でも、果たしてこのような日常は当然のことなのでしょうか?
私は、当然ではないと考えています。
誰も、明日という日を100%無事に迎えられる保障はない
私自身は、幸い今は健康体です。
それに加えて、まだ若いとされている30代前半です。
そのため私は、おそらく99%程度の確率で、問題なく明日を迎えられると信じています。
しかし、100%かと言えばそれは絶対にありません。
私は「絶対」という言葉は好きではないのですが、これは確信を持って言えることです。
もしかしたら交通事故やその他の原因で、運悪く死んでしまうかもしれないし
病気で突然死するかもしれない。
その瞬間がいつ来るかなんて分からないからです。
身の回りで起きた悲しい出来事
以前、私の知り合いに、私よりもかなり年上の方がおりました。
その方は日頃より身体を動かしており、タバコもやめて日々健康的な生活をしており
バイタリティ溢れる活発な方でした。
その方はある日、いつものように趣味のスポーツをしに行きました。
朝から夕方まで精一杯楽しんだそうですが、帰り際に、ちょっと体調が悪くなり
「これはいかん」と、ご自身で救急車を呼びました。
そして、そのまま救急車の中でお亡くなりになりました。
心臓の疾患だったと聞きます。
その悲しい出来事は3年ほど前のことになりますが、それを間近で見ていたお仲間の方々も
未だに全く実感がないと言います。
おそらく、その方はもちろん、周りの人も誰一人として
その方がその日に亡くなるなんて思っていなかったと思います。
交通事故などでお亡くなりになる方も、間違いなく誰もその日に亡くなるなんて
夢にも思っていないと思います。
毎日気を付けて、大切に過ごす
これまた当たり前のこと言っているかもしれませんが
仕事や学校に行っている人は、事故に遭わず帰って来る必要があります。
私も会社まで自転車通勤をしているので、毎日気を張っています。
そして家に帰り着いたら「良かった。今日も無事に帰って来られた」とほっと一息ついています。
特に、ご家庭がある方は、そんな安堵の気持ちと共に「ただいま」と言ってみて
家族のありがたみを感じてみるのも良いと思います。
※私はというと、寂しく一人暮らししています……。
もちろん、このような記事を書いている私自身も、つい忘れかけてしまうことはあります。
なんとなく無為にダラダラと過ごしてしまう1日はあります。
そのため、こうして一つの記事として、言葉にすることによって
自身も更にこのことを忘れぬよう、心がけていくきっかけにしたいと思います。
私がこのようなことを考えるようになったきっかけ
※ここからは完全な余談です。
私は中学1年生の頃から、毎日生きられていることが当たり前だと思っていません。
何故、このようなことを考えるようになったのかというと
私の通っていた学習塾での勉強合宿に参加したことがきっかけです。
その勉強合宿のレクリエーションで、登山を行ったのです。
もう20年前の話になるので、どこの山かも全く覚えていないのですが
登山などしたことのなかった私にとって、中々にハードなイベントだったのです。
それに加え、中学1年生当時の私は、20mシャトルラン40回で脱落する程度の体力だったため
他の体力のある生徒たちはドンドン先に進んでいってしまい、はぐれてしまいました。
そうして、私は20分以上、一人で山頂を目指すことになったのです。
もちろん、ある程度舗装されて開けた安全な道ではあったのですが
歩けども歩けども、はぐれた他の仲間に追いつけないどころか、人の気配もありません。
必死に歩いていたところ、ふと横に目をやってみると
山頂ではないけど、素晴らしい景色が広がっていました。
つまり、今自分がまぁまぁな高さまで登ってきたことが分かったのです。
仲間と一緒なら、きっと美しさに感動できたかもしれませんが
私一人だったため、その自然の雄大さに、圧倒的な孤独を感じてしまいました。
「自分は何とちっぽけで、取るに足らない存在なんだろうか」
そしてもし仮にここで一歩間違えて滑り落ちでもしたら、間違いなく私は死ぬ。
「俺ってあっけなく死ねるんだな……」と思いました。
次の瞬間、急に家族の笑顔が浮かんできました。
「家族に会いたい」
そのとき、猛烈な寂しさが襲い、私は大声を上げて泣きました。
幸い他に登山客は誰一人いなかったため、その姿を見られることはありませんでした。
「怖い、みんなに会いたい」。その一心で何とか山頂にたどり着きました。
「メヒシ、おせーぞ!!」と同級生たちが出迎えてくれました。
私は「あぁ、ごめんごめん」と何事もなかったかのように応えました。
もちろん泣いていたことも悟られず、一緒に下山しました。
この日から、家族や仲間のありがたみを、より感じられるようになりました。
そして、自分が生きていることが当たり前でないということも分かったのです。
このエピソードはここで初めて話したので
あの登山の最中に大号泣したことを知っているのはこの世で私だけです。
そして、このエピソードを読んで、私は一つ思いました。
あんなハイキングの延長みたいなコースで大袈裟に書き過ぎた。
しかし、生きていることのありがたみに気づいたのは事実ですし誰も読んでいないと思うので、恥を忍んで公開してみます。
コメント