がむしゃらな努力には限界がある。努力の質と効率アップも忘れず

人生とか

こんにちは。メヒシです。

タイトルは、私のこれまでの人生の反省というか、し〇じり先生みたいな、そんな話です。

まず、メジャーリーガーであるダルビッシュ有選手の名言をここに載せたく思います。

これは非常に秀逸なツイートで、ひとことにエッセンスがギュッと凝縮されています。

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メヒシのがむしゃら受験勉強

私は高校を中退して3年間の引きこもりを経験しました。

3年間引きこもった末に、浪人までしてしまい
ほぼ背水の陣で大学受験に挑んでいたのですが
とにかく必死に、がむしゃらに勉強しました。

その結果、MARCHレベルの大学に合格し、進学しました。

その受験勉強の経験のおかげで、かなりの忍耐力、粘り強さを磨くことができました。

私はスペックこそ低いですが、このひたすらやり込む粘り強さで
周りの人たちと戦ってきた感があります。

社会人になっても、がむしゃらだった

そして、そんな私も社会人になりました。

私は社会人になっても、やはり、がむしゃらに目の前の課題に取り組んでいました。

そのときの教育係の上司も、同様に、とにかくがむしゃらに取り組むタイプでした。

そして、私はここで躓きました。
明らかに学生時代までのような成果が出ません。

私はエンジニアのため、仕事では工数というものに縛られています。
つまり1つの仕事を、例えば100時間以内に終わらせるとか、そういう縛りのようなものです。

※100時間与えられた場合は、1日8時間働くとして、12日やれば8×12日=96時間なので
 だいたい2週間くらいの仕事、とかそんなイメージで大丈夫です。

何を言いたいかと説明しますと
「がむしゃらにとにかくやるタイプ」である私は、いつも工数をオーバーしてしまうのです。

要するに、仕事を与えられた時間内に終えられないということです。
(納期は守っていましたが徹夜したりしていました)

皮肉なことに

「これまでそれで何とかなってきた」

という自信が、私の思考を停止させていたのです。

「がむしゃらな努力」は快感が凄いという恐怖

これは一つの罠で、私は一番の恐怖だと思っています。

がむしゃらな努力って、「やった感」が凄くないですか?

きっと、ドーパミンがドバドバ出るのかな?(笑)

例えば勉強なら

「●●時間勉強した!」
「問題集のここからここまで解き終えた!」
「過去問3年分解いた!」

これ、まんま昔の私なのです……(笑)

考えみてほしいんですけど、なぜ勉強するのでしょうか?

・定期テストでいい点を取るため
・受験に合格するため
・資格試験に合格するため

各々目標はあると思います。

なので、もう1度、冷静に自分の目標(ゴール)を思い出してみてください。

がむしゃらタイプだと、仕事でも勉強でも
いつの間にか「勉強することが目標」になってしまいがちです。

1日1日、その日の始まりと終わりに

「どうやってゴールにたどり着くか?」

「このルートで間違っていないだろうか?」

「このペースで間に合うだろうか?」

ちょっと考えるだけでも、全く違ってくるのではないかなと私は思います。

全くできていなかった人間が偉そうに言っています!

不器用だって良い。でも質を上げることと効率アップは諦めない

おそらくここまで読んでくださった皆さんは察しているかもしれませんが

私は超絶不器用人間です。

効率とか、「要領よく」とか、そんなのとは本当に対極にいるような人間です。

そんな私がこんな記事を書いていいのか?

そういう人間だからこそ
努力の質の大切さを知ってもらいたくて書きました。

実際、このことを考えたからといって、すぐに仕事や勉強ができるようになるとは思いません。

不器用だっていいです。

少しずつ、進んでいってほしいと思います。

はじめのうちだけは、がむしゃらな努力もアリ

何かを始めて間もないうち、つまり、はじめのうちだけなら

がむしゃらな努力もアリかなと個人的に思います。

これは、あくまで習慣付けのためと思ってください。

とりあえず机に向かってみる。
とりあえずスポーツジムに行ってエアロバイク漕いでみる。
とりあえず仕事内容覚えるために沢山残業してみる。

ただ、くれぐれもクセにならないようにお願いします。

私のように、がむしゃらの虜にならないよう、気を付けて頂きたく思います。

以上、私の長年にわたるしくじりエピソードでした。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

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